石鎚山北壁
2013年8月15日〜17日
坂地・日置(記録)・本多

FUKUROニュース 9月号表紙
石鎚山北壁へ行って来ました〔正確には坂地さんに連れて行って貰いましたデス〕。
正?報告は坂地さんより有るかと思いますので、「私の」独視/主観です。
石鎚は30年ほど前に一度行った事が有ります。
その頃は「岩登攀」ナンテモノが有る事・・・さえ知らず(→またその時は)登攀者も見えなかった・・・です。
鎖場登りを喜んでやった記憶が残っています。鎖は今回よりもっと多く有った様な?気がします(成就から登った)・・・それに空中鎖場も有った様な?気もします・・・・。今回坂地さんの説明によると「2〜4ピッチと短いし4〜5級なので、初日2本、帰阪日1本」攀る計画との事。但し取り付きまで歩きが2時間〜との事・・・で、←重い登攀道具を持っての登りが・・・シンドそ〜う!!。
16日早起きして出発。3の鎖場へ着いたが、そこは工事現場、見渡すが・・・取り付き道らしいのが見当たらない。すなわち踏み跡は発見出来無かった。
相談の末登山道を登り「懸垂」箇所から下る事にする。まずルート図に有る「懸垂点」を探すが見出せない?!。ヤット発見‥ン?ショボ〜〜!腐ったハーケン2本に手作りのハンガーが1つのお粗末さ。細引きで3ケ所を連結し更にバックアップを取って下降・・・40m下に有るはずの接続点が見当たらない?!。仕方ないので50m一杯でブッシュの中まで降りる・・・。其の先またまた取り付き点が見出せない!!。
ソンナコンナで初日は「ダイレクト」1本で時間満杯終了=結構ツカレました〜〜!。国民宿舎で風呂に入りビール購入して駐車場でミニ宴会(ここは火気・テント禁止デスから念の為)。
17日も早起き出発。昨日より足取りが重い!!。
3の鎖場よりトラバース開始し(取り付き道へ)←→この辺は昨日十分探索したので、行けます・・・が、正式な取り付き点がマタマタ見出せない!!。
=今日はトイルートです。
どこでも難しく無く登れそうだが「ピン」が無いと、怖いので「坂地さん持参のフレンズ類」は全て借りて開始。‥少し登ると・・・ピンベタ打ちのルートに出た。トイルート←前日把握?では・・・最終一手が可也難しそう?!。
最悪時を想定しハーケン、ハンマーを持参しました。が・・・見た目と違い簡単で不用な長物と成りました‥ザンネン。 タダ重カッタだけ!。
トイルートは「フレンズ、ピン類、アブミ」一切不要ですヨ〜。
IV級表示も妥当。昨日よりは早く登れたので後は「カンテルート」に卜ップロープを張って遊ぶ。トップロープは楽しいナ〜!!。
カンテルートの最終ピッチ、出だしの2〜3ピンは遠く、且つリングが飛んで居るのが有ります。ここは難しそうです。(我々は其の上からTRで遊びましたのでここは皆フリーで行けました)・・・がリードでは・・・この様には行か無いだろう!!。V級は正しい評価の様な気がします。この2日間北壁に登筆者は我々だけでした。お盆後半、しかも快晴予報。絶好な岩日和なのに「ゼロ」と言う事は本番風「岩登りは低調なのだ」!。
それは「踏み跡なし」「懸垂支点形状」からも実感できる。
反面一般登山者からは稀に見る×××と見られて?か「歓声」が上がりますョ〜。
北壁の概要もほぼ分かりました。本番要素も多く、短時間で登れる良いルートですが「ベースを」登山口にすると遠〜〜い(往復4時間〜)が私の観点。
2の小屋、3の小屋共重機で工事中です。『2』の方では、その昔作られその後崩壊した岩に埋まって居た「石碑」が掘り出されて居ました。『3』の工事現場では5円玉?かと思って拾ったのは「寛永通宝」でした。
寛永通宝は江戸時代〜明治までの通貨ですから相当骨董価値が有るだろうと調べましたら現在50〜100円位の価値だそうです。
その当時、1枚で何が買えたのか?分かりませんが「先人たちが3の小屋(神社)へ」賽銭として捧げたものに間違いありません。
何かを祈願し、あるいはお礼の意味で捧げたであろうこの古銭『今回の石鎚』登攀の記念としてアルバムに貼って末永く保管しようと思っています。石鎚の神様と坂地さん本多さん有り難うございました、楽しい2日間を過ごせ喜んで居ます。
(日置)